自然の営みの中で

~ 花も虫も季節ごとに ~

北袋の民家に移り住んで半年。春夏を経て秋を迎えている。季節の移り変わりは早く、身の回りの草木や果物など、いろいろなことでその変化を感じることができる。お隣から頂く花は、水仙から蛍袋、ヒメヒマワリ、秋桜(コスモス)、紫苑(しおん)へと色とりどりに変わり、こんなにも間断なく咲き続けるのかと驚かされる。

昆虫についても同様である。チョウチョ、ホタル、セミ、カブトムシ、コオロギが現れ、家の周りでの虫捕りは子供たちの楽しみである。窓を開ければチョウチョが家の中を通り過ぎ、夜にはセミの羽化を観察できるほどだ。

しかし、トトロの森の住人(虫)はわれわれが好むのもばかりではない。季節に合わせて春先のカメムシ、ムカデ、ブヨ、オロロ(アブのような虫)、再び秋のカメムシと続き、小さな隙間(すきま)を見付けては家の中に侵入してくる。その隙間を見つけだして木やゴムパッキン、コーキングで埋めてゆく。手間のかかる作業ではあるが確実に冬に向けての対策になっていて苦にはならない。

不思議なことに虫は少しずつ現れ、少しずつ居なくなるのではない。現れるときは一度に数千、数百と集まり、いなくなる時は一夜で姿を消してしまう感じで、ひとつひとつの区切りが明確である。われわれはまだほとんど識別できないが、自然にも言葉と同様に多くの単語と文法があって、季節という文脈の中でいろいろな景色が現れるのだと思える。民家での生活もその一部でありたい。

この家には洗面、浴室、便所以外は壁で仕切られた部屋はなく、一、二階、ロフト共に障子や布で柔らかく領域を分けただけの大きなワンルームとなっている。使い方の固定した個室はない。窓を開ければ周囲の庭や小川にその領域が広がり、内にいても自然の気配を、外にいても家族の気配を感じる。一人ひとりの持ち物が家族の領域を示し、遊びたいと思えばオモチャを、仕事となれば仕事道具を持ち出せば、内外どこでも遊び場や書斎に変わり得る。

また、単なる高気密、高断熱はここでは意味をなさない。暑ければ簾(すだれ)や葦箕(よしず)で遮光し、日陰に合わせて人が移動する。周囲から隔てられた内部に快適スペースを用意するのではなく、それぞれの季節に合った快適な場所を探しながら緩やかに暮らす。自然に寄り添った生活の景色を創(つく)り得る方法のひとつだと思う。

今まで経験し工夫したことはほんのわずかのことである。この民家を「わが家」として住こなせるのは試行錯誤を数年繰り返してからのことだろう。民家にとっても、家族にとっても忍耐のいる付き合いが始まったばかりである。冬の経験はこれからだ。今までとは様子が異なるのは想像に難しくない。冬の厳しさを自然の一部として受け入れ、しなやかに楽しめるかがこれから試される。子供たちがよい手本になってくれると期待している。(建築家・谷重義行)

写真:まきストーブが入り、冬支度も整った室内。子どもたちは、この家で迎える初めての冬をどう過ごすのだろうか