ナイロビ滞在記

平成三年八月に日本を離れ一年間、私はアフリカのケニアに滞在する機会を得ました。JICA(JAPAN INTERNATIONAL COOPORATION AGENCY)からの依頼により、ケニアのJKUCAT(ジョモケニヤッタ農工大学)で建築学の技術指導を行うためです。

主な業務内容は、講義、共同研究、学科内の機材整備でした。大学は首都ナイロビから四〇km離れたティカの街にあり、車で四〇分程度かかります。私の授業担当は、演習の建築デザインと講義の建築設計理論でした。学内の建築に関する雑誌や資料が不足しているため、講義から何かを得ようとする学生の真面目な態度が伝わってきます。また、一学年二〇人の学生は、全ての講義を製図室で受講し、設計図面の貼られた製図板で数学等の講義もうけます。教室が不足していて不便の様ですが、常に図面や模型が身の周りにあり、休憩時間にも建築に頭を使っている感じで、活気があります。また、ケニアの建築学科は、欧米型の徹底したアーキテクト教育を志向し、学士を修了するには六年間必要です。

私は大学の講義以外にも、伝統的住居の調査で多くの地方を見て回りましたが、ケニアの風景は、時速一〇〇kmでドライブしていても、アカシアの木が点在し、小高い丘を持った瓦礫の平原が二時間、三時間と続きます。一般道でキリンやゼブラに出くわし、さすがは動物の王国アフリカだと再認識することもしばしばです。車を止めて五分間も休憩していると、紅色の一枚布をまとい、槍を片手の四・五人が、時には素足で、時にはタイヤの草履で集まって来ます。農村の部族固有の住居で、その氏族の長老とウジ(ミレットのかゆ状の飲物)やギゼリ(数種類の豆とメイズを一緒に煮込んだ食物)を御馳走になりながら、住宅の建て方や仕来たりに耳を傾けるのも楽しい事でした。

ここで、JICAのスタッフについて少し触れておきます。ケニアには約八〇〇人の日本人が在住していて、その内JICAからの派遣員及びその家族は二〇〇人前後です。技術協力の内容は多岐にわたり、工学、農業、医療以外にも、国土測量、水資源、動物保護、人口抑制、人類学、栄養士、小学校教育、洋裁、編物、柔道、空手等々、幅の広いものです。そういう日本人との出会いは、現地の人々との出会いと同じくらい興味深いもので、地位や年齢を超えて親しくなり、違った分野の多くの友を得ました。時々集まってはビールを片手に、「黒サイと白サイの違いは?」「ケニア人の仕事観は?」等々、終わりのない話しが続きます。

日本政府による開発途上国の経済社会開発を目的とするODA(OFFCIAL DEVELOPMENT ASSISTANSE:政府開発援助)予算は、年間約一兆五、〇〇〇億円(一九八九年度予算)で、その内の技術協力二、二〇〇億と無償資産協力二、〇〇〇億の七〇%がJICAを通して実施されています。援助国は一〇〇ヶ国以上にのぼり、国や分野を越えた出会いが日々生まれていると言えます。平成四年十月、JICA北陸支部が金沢駅西の金沢パークビルで活動を始めました。
こうしった国際協力の活動を、皆さんの将来の人生計画に加えてみるのも楽しい事かもしれません。

短い一年間でしたが、貴重な体験ができ、機会があればぜきまた訪れたいものです。ケニアの素晴らしさについて伝えたいことはまだまだありますが、今回は、ほんの一部を紹介して終わります。