金沢湯涌茅場 -茅文化の普及啓発活動-

●金沢湯涌茅場

石川県金沢市湯涌地区では、茅(カリヤス)の生産を目的とする「金沢湯涌茅場」が「ふるさと文化財の森」に選定され、金沢湯涌江戸村内の旧野本家住宅が「ふるさと文化財の森センター」として指定を受けている。金沢湯涌江戸村とは、江戸期の加賀藩を中心とした民家を「町家・武家ゾーン」と「農家ゾーン」に分けて移築保存し、公開展示をする金沢市立の施設である。施設内には9棟の民家があり、うち4棟が茅葺き農家である。その中の旧野本家住宅は19世紀前半に建てられた農家で、石川県能登町(旧・柳田村)から移築され金沢市指定有形文化財の指定を受けている。また、金沢湯涌茅場は湯涌の町から車で20分程度登った標高600mの山中にあり、山道の左右約2㎞にカリヤスが群生している。毎年11月に石川県茅葺き文化研究会と地元協力者及び他地域からのボランティアを含めた50名程度のメンバー(名称・カヤカヤ団)で茅刈りを継続している。平成24年度、25年度に「文化庁ふるさと文化財の森システム推進事業普及啓発事業」の採択をいただき、25年度には金沢市の「協働まちづくりチャレンジ事業」、湯涌地区の「花咲く湯涌まるごとフェスタ」と連携していろいろな体験型の事業を実施してきた。その後26年度も金沢市、湯涌地区との連携を継続しつつ、新たに内川地区とも連携した事業を実施した。それらの中の3つの事業について概要を述べて、我々の取り組みを紹介する。

●事業 : 小学生に知ってもらう「茅」は持続可能な草資源

この事業は小学校の校庭に小さな屋根の基地や東屋を約1週間かけて建造する企画である。目的は ①茅葺き屋根と茅葺き師の存在を知ってもらう、②身近に見て、触れて 、感じて、親しみを持ってもらう、③昔の人々の知恵を学んでもらうことである。合掌組み、下地造り、茅葺きの一連の工程を見ることができる。丸太、竹、縄、ネソ(万作の枝)、茅(ワラ、ススキ、カリヤス、ヨシ)の自然の材料のみを用い、昔ながらのハリ、叩き、鋏などの道具を使用する。製作するのは県内でただ一人となった若手茅葺き師の野村泰三氏である。

子供たちはお昼休みと下校時に校庭に集まり、鋸で竹を切り遊び道具を作ったり、茅の上に寝転んでゴロゴロと遊んだり、茅を運んで職人の手伝いをしたりといろいろな関わりで楽しんでいる。職人が作業の手を止めて語り始めると話に聴き入る場面もよくあり、茅葺き師という職業を知ってもらう良い機会である。完成した茅葺きの小屋は校庭の遊び道具の一つとして、メダカ池の観察小屋として、それぞれの学校に合わせて使われる。一年に一校での製作を目標に取り組んでいる。

●事業 : 小学生に茅文化を伝える小冊子

小学生を対象にして、茅や茅葺き屋根をかみ砕いて紹介する小冊子と、茅をめぐる自然と茅葺き屋根に携わる人々の姿を物語を通して子供たちに伝える絵本を創作し、子供達に手渡す。

1冊目は「かやぶき屋根のはなし」。美術大学の学生をデザイナーとして選び、今まで茅と関わりのない人の視点から疑問を投げかけてもらい、クイズ形式で茅葺き屋根を紹介する。国内外の特徴的な茅葺き建物を紹介し、茅葺き屋根の仕組みなど小学生でも分かるやさしい本とした。2冊目は絵本「ブッキーとなかまたち かやじぃの救出」。茅葺き屋根に暮らす「かやだま」という子供に親しみやすいキャラクターが登場し、壊れかけた茅葺き屋根の「かやじぃ」を救う物語。かやだまは旅の途中、茅場に住む動物たちの助けを借りてかやじぃを直してくれる茅葺き職人に出会い、かやじぃのもとに連れて帰る。子供たちはかやだまと一緒に旅をすることで、茅にまつわるいろいろな事柄を知ることができる。また保護者や先生方がより専門性の高い内容を補足的に解説するためのキャプションをページの下段加えている。企画・編集・文・絵すべて当研究会会員で制作した。

●事業 : 親子で楽しむ茅刈り&茅葺き体験

親子を対象にキゴ山ふれあいの里研修館に一泊二日の日程で、茅刈り体験、茅文化のお話、葺き技術の習得、茅葺き体験をする企画である。金沢市が管理するキゴ山の広大な敷地内には放牧地が放棄されススキの草原となった一帯があり、市民の力でこのススキの草原を茅場として再活用する。平成26年秋に開催した事業で、一泊二日の企画は初めての試みであったが、親子11組33名の参加を得て大変盛況となった。一日目午後より茅刈りワークショップを開催。初めての体験に子供も大人も夢中になって取り組み、途中から子供たちは茅束を使ったかくれんぼの遊びを考案して笑い声の絶えない茅刈りとなった。夜は「お楽しみカヤカヤタイム」と銘打って、茅の紹介、カヤカヤクイズ、紙芝居「かやじぃの救出」、最後は男結びの修得。二日目は男結びの復習から始まり、茅葺きの妖精「カヤブッキー」の製作、段葺き による茅葺き屋根の製作を行った。子供も大人も竹と茅と縄だけを用いて形作る作業を一通り体験した。

●子供達に渡すもの

石川県茅葺き文化研究会の活動には小学生を対象とした企画が多く、子供のいる所に積極的に出向いている。加えて中学校の総合学習で取り組む地域貢献・環境保全活動の一環として茅刈りを実施させていただき、大学生には大学と地域との新たな交流を図る活動として茅葺きのコミュニティー・バス停の建設に参加してもらうなど、対象範囲を広げている。これらの活動が金沢湯涌茅場と金沢湯涌江戸村に人が集まる契機となっている。

茅葺き屋根に関しては、小さな小屋であっても基本的に使用する材料、道具、基本技術は大きな民家と同じと言える。規模や技術レベルが異なっていても、工業生産によらない自然の材料によって一つの形が組み上がること、その素材の柔らかさ、肌ざわり、においの気持ち良さが心身に良いこと、そして自然の循環の中で生産され消費されてゆくこと、これらを同じ感性で受け止めることが出来る。そのことを知識ではなく、身体で了解してもらうことが大切だと考えている。これからの未来を築く若い人たちにとって、文化財としての茅葺き建物はこれから必要とされる新しい感性を磨く教材であり、そして小学生を対象とした普及啓発の活動は、文化財としての茅葺き建物をより豊かに理解できるようになるまでの一歩一歩の道しるべであると考えている。

住宅の安全と快適

「住宅の安全と快適」

自分の目で確認できる自然素材で「安全」と「快適」を両立する

今、日本の食への安全神話が崩れつつあります。住宅も同様ですね。いろいろな材料が輸入され、自然のものに見せかけた合成材料や接着剤で貼り合わせたものが多く流通しています。食で言えば「安全な食材で美味しい料理を食べる」が理想です。住宅に換えて言うと、「安全な建材で快適な住宅に住まう」となります。安全な建材とは、簡単にはやはり自然素材でしょうか。それも生産を自分の目で確認できる範囲の素材がより安心できます。では快適とは何でしょう。安全な建材=快適な住宅とは言い切れませんね。人間にとっての快適は、単に生物学的な面だけでなく、歴史的・社会学的・美学的な見地からも多様に捉えられ、そこには広い意味でのデザイン、つまり総合する力が必要とされます。ますます、安全が強く意識される時代になり、安全と快適、両方を併せ持つ住宅が求められます。素材の持ち味を生かす創意と技が美味しい料理の秘訣とすれば、同様に、安全を選ぶ目と快適を創造し実現する力、そこに建築家の能力が発揮されます。

家づくりにおける要望と建築家の取り組み

【事例1:施主の希望から住宅を構想する】
この住宅には長さ7m、高さ7m、奥行60㎝の書棚が家の中央にあり、全ての部屋が書棚と面しています。家族全員がひとつの棚を共有し、棚を巡りながら暮らしています。書棚として以外にも玄関では下駄箱として、ユーティリティではタオルや下着類の収納、寝室では洋服棚、台所では食品・食器棚として多様に機能しています。多くの本を所蔵する施主の希望は「毎日 本を見て暮らしたい」というものでした。他にも部屋の広さや使い方、床仕上の材料、外の眺望の確保といった要望がありました。しかし「毎日 本を見て暮らしたい」という希望が、この施主の人柄を最も現していて、この住宅を特徴付ける主要なテーマになると感じました。いくつもの模型を通して、書棚の配置と各部屋のつながり、そして、生活の変化への柔軟性といったことをスタディしています。設計過程の中で他の要望をもり込みながらも、テーマがより明確に表現されるように、書棚を建物の構造と一体化した家具のような住宅を計画しています。

【事例2:敷地の条件から住宅を構想する】
この住宅の主要なテーマは採光です。光を採り入れる2つの筒が住宅のプランニングと部屋の形態を決定しています。この敷地の南側には、2階建ての古いアパートが境界近くに建っています。それも敷地の幅いっぱいを覆うほどの大きさで、冬季には10時を過ぎないと敷地には全く日が当たらない状況でした。そこでアパートの屋根を越える高さに、2つの光筒を設けました。ひとつは、家族の集まるリビングいっぱいに光を降りそそぎ、青空を切り取る台形の大きな窓を持ち、もうひとつは、プライベートスペースにほのかに光を採り入れ、内部から街並みを俯瞰する逆台形の小さな窓を持っています。2つとも嵌め殺しガラスに見えますが、通風のとれる仕組みになっています。2つの筒の形状は、室内への光のまわり方、夏冬の日射の差し込み方を考慮して検討されました。これら2つの採光によって都市型住居における快適さと住空間の密度を確保しています。

当然ながら家づくりに対する施主の要望は様々ですし、生活スタイルをはっきりと意識できている場合もあれば、漠然としたままの場合もあります。何が主要なテーマになり得るかは、施主と建築家との対話を通して見つけ出されます。また言葉にならない夢や希望を見つけ出すのも建築家の役割と言えます。事例2のように、敷地が既に抱える大きな問題から出てくる要望が主要なテーマになる場合もあります。施主の要望も当然あって設計の中に織り込んで行くのですが、敷地の特性を読み取る視野も建築家には必要な能力です。

ここで示した2つの住宅は一般の住宅と比較すると特殊に思われるでしょうが、それぞれの要望に対する提案がわかりやすく計画された事例です。ほぼ同一の規模でありながらも、それぞれのテーマを明確にすることで、全く異なる住宅に仕上がっています。

【われわれの取り組み】
いろいろな構想の中で建築家の取り組みとして大切だと思っていることがあります。設計を進める際には、全ての要望は人間的な視点でつながっているという前提に立って考えるべきだということです。科学的、物理的な数値の内容であっても、人と関係する全てのことは人の行為、感情そして生きる姿勢といったものに深く関わっています。本やカタログに載っている規格化されら数値や形式(温度、湿度、サイズ、プラン、形態など)といったものはある程度の指標になりますが、それだけに頼っていると創造的に生き生きと暮らすことを妨げることにもなります。さらに個別的な要望を普遍的な価値あるものへと練り上げなければならないということです。建築の設計・デザインは、単に個人的な趣味の問題ではないということです。それぞれの施主と建築家によってつくられる住宅は同一のものはないし、ひとつひとつが個性的でもあるべきです。しかし、そこには共有できる価値や秩序があり、建築を通して、人間・空間・環境のよりよい全体像へとつながる可能性をふくんでいなければなりません。

現代の多くの住宅は個性を強調しながらも、物事を決める基準を画一化されたものに頼っているようです。そのために個性も表面的、表層的な差異を争っているだけのようですし、ひとつの住宅を通して人と人が、人と環境が関わり、その関わりの中から良いものを創り出そうとする意識が希薄になってきているように思えます。カタログや広告に頼って、住宅を「建てる」と言わずに「購入する」と言い慣れてしまったのもその現れだと思います。

ひとつひとつの要望を人間的な視点で再考する、その中で生活にとって本当に必要なものを形にし、趣味や時代を越えてわれわれの蓄積となるものを残す努力が、建築家に求められるのだと思います。住む人と建築家が共に家づくりにおける要望を理解し、共に考える中から良い住環境をデザインしていくことが大切なのでしょう。

谷重義行+建築像景研究室 谷重 義行

Mizuki Vision ホスピタリティのある都市空間をめざして

「木造住宅の楽しみ方」

「金沢らしさのある木造住宅の楽しみ方」というテーマを頂いたので、それに沿って少し考えてみました。

講演会で仕入れた知識です。「木は腐る過程で炭素を放出するので、雑木を放置して腐らせるよりは、石油の代わりに効率よく燃やして利用し、石油燃料からの二酸化炭素を減らす方が良い。樹木は百年サイクル、石油は1億年サイクルですよ…。」薪ストーブが、実は地球温暖化対策につながるのだと言う主旨でした。なるほど!私も薪ストーブ愛好家なので、話を聞いて何となくホッとしました。樹木は光合成によって空気中の二酸化炭素を酸素と炭素に分解して炭素を体内に蓄積します。また樹木には過熟期というのがあって成長しすぎると体内に固定していた炭素を放出し始めます。腐ることも炭素を放出することなのです。木が炭素の塊なら、木造住宅は炭素のストック場と言えます。私は古民家を改修したとき、出てきた木の廃材を全て45cmの長さに切り揃えてストーブの薪にしたことがあります。50年、100年と家を長く持たせて、将来、止むを得ず取り壊すときには燃料などにして有効に活用する。毎日誰にでもできて次の世代に引き渡すエコライフです。

金沢で木造住宅を何棟か設計していると地元の(石川の)木材を使う必要性を感じて来ます。どうしたら石川の木をたくさん使えるのかと材木屋さんに尋ねると、大きな倉庫に案内されました。中には形の不揃いな丸太や板が高く積んであります。山が急斜面ということと雪の重みで、石川の木は曲がったものが多くて癖が強いのだそうです。まっすぐな柱や梁にできない材が多く残る。「これを何とか使こうてもろたら助かるんやけどな、考えてやー」宿題を出される羽目になりました。曲がった柱を縦横に組んで波打つ壁も面白いかもしれません。少しくらい曲がった木でもいいから遊び心で使うと楽しい住宅になりそうです。自然の中で再生産できる木を使って建てることは環境を守っていることになりますし、将来のために蓄えたエネルギーの中で暮らしていると思うと、金沢の長い冬も暖かな気持ちで過ごせそうです。地元の木なら尚更かもしれません。

建物のつながりに統一感

「デザインとは単なる飾りではなく生活そのもの。合理的な考えに裏打ちされたもの」

■□一つひとつの建物は個性をもって建つけれど、通りとしてはずっとつながるわけですから、建物を設計する上で、その“つながり”を強く意識して取り組むことが大切だと思います。つながりを持った通りが、それぞれ縦横にも交わり、そんな積み重ねによって全体として街がもっと楽しく、魅力ある場所に生まれ変わっていくのではないでしょうか。設計者としては、そこに至るための手掛り、方法をいろいろと考える必要があると思うのですが、残念ながらまだまだ意識された設計が少ないようです。今ある伝統的な街も何十年、何百年という永い年月の中で造られてきたわけで、堂々とした暮らしが築く街の中には、常につながりを意識した跡があり、とても魅力的です。これからの建物や街づくりにおいても同様、伝統的な街に学ぶ“つながり”に十分配慮していってほしいと思います。

■□建物が横につながる視点を、私は「開かれた形態」ととらえ、例えば三角、四角、丸の違った建物がバラバラに並んでいたとしても、建物と建物との間、空間につながりを意識した工夫があれば、全体としては統一感があって、とても良くなると思うのです。ただ気掛かりなのは、そんな工夫を単に『デザイン』と言って、飾り付け(装飾)の意味合い、感覚云々で理解する向きが多いのは大変残念なことです。正しい理解を願って言えば、都市デザインや建築デザインの中で使う『デザイン』とは、生活そのもの(人間と社会の生存に根ざしたもの)を意味し、それは単なる感性とは違うもっと合理的な側面をもち、ちゃんとした理論に裏打ちされた考え方のことを指すのです。

■□そもそも伝統的な都市とは、意外に曖昧な造られ方をしており実は、その曖昧さの中にこそ、建築的な合理性があり、方法があるのです。一つに固定されたものではなく、常に新しいものを取り込んでいく余裕みたいな仕掛けがあるということです。伝統的な街にいくと、なぜか心がワクワクするのは、そのためではないでしょうか。

森と清流を求めて

~ 民家のある環境 探して ~

金沢市在住の建築家谷重義行さんは、自ら山間の集落に古民家を探し求め、手直しして暮らす。家族の住まいとなった家との出会いや暮らしについて、住み手の立場から気付いた民家の風景を気ままに書いてもらった。

現在住んでいる北袋の民家に、仲介の人と訪れたのは昨年の初秋だった。金沢市街から車で三十分。湯涌街道から山手に入った敷地は集落を抜けた一番奥にあり、﨔(けやき)・杉の木立と渓流に似た小川に囲まれ、水の流れと虫の鳴き声の他は何も聞こえてこない。「トトロの森」と家族で名付けるほど、市街から来た者には別世界であった。そのとき、ここでの暮らしをわが家に現実とすることに決めたのである。

実はこの民家を訪れたのはこれが初めてではなかった。空き家になったとのうわさを聞きつけて、三ヶ月前にも訪ねていたのである。当時は、この場所に魅力を感じることはなかった。その三ヶ月間に八軒の民家を訪ね、いくつかの空き家と宅地を見て回った。

その中には契約直前まで進んだものや、何度も持ち主を訪ねて譲り受ける交渉を繰り返したものもあった。その都度、購入・改修の予算、新しい間取り、通園通勤方法、近所付き合い、日々の家族の暮らし方、冬の過ごし方など、話し合いが尽きることはなかった。また、民家や山村に暮らし始めた人を訪ねてわが身に置き換えてイメージを膨らませた。

民家を訪ね話を聞くうちに、一口で民家の再生と言ってもいろいろな家族と、それに合ったいろいろな暮らしぶりがあるのだと気付き、なぜ民家にこだわるのかを自問した。民家を自ら再生して暮らすことは新築とは異なる魅力があり、経済的にも理にかなっていて、長い間の憧れであった。

田舎で育った子供時代の体験をわが子と共有したいと言う思いも常にあった。また現代のわれわれの現実とは何なのかを考えてみたい…。明確な答えはないが、探していたのは民家の建物ではないのだと思うようになった。

民家は美しく、伝統に裏打ちされた技術や古材の風合いも素晴らしい。しかし、それらは生活にとって一部でしかない。民家そのものから民家を含む環境へ、人の思い入れから家族・友人とのかかわりと民家を探す視点が広がっていった。北袋の民家に再び訪れた時、探し求めていたものがここで可能なのだと気がついた。

子供が遊び回っている表情がとても生き生きとしていて、子供時代に遊び回った自らの姿と人々の声がそこにあるように思えた。大きな樹々と小川に沿って点在する民家。かなりの時間と体力、話し合いの忍耐を必要としたが、求める民家に出合うためには必要な過程であったのだと今では思える。

写真:小川が取り囲むようにして流れる家の周り。静寂な空気の中、家族が暮らす谷重さん宅=金沢市北袋町で

再生工事への参加

~ 住まいは創るもの ~

北袋町の民家を住まいとして購入したのは昨年の暮れであった。築五十年の建物には不動産価値はなく、通常であれば取り壊して新築するところである。しかし、住まいを新築するとそれなりの工事費が必要となり、すぐに実現はできない。既存の建物を改修し再生するのが手短な方法であった。

工事計画を進めながら、再生を支援する補助金はないか探してみた。金沢市には「伝統的建造物修復支援制度」などがあるが、この地域の民家に該当するものはなかった。石川県には個別の建物に当てはめた制度がない。文化庁の文化財登録制度は設計料の補助であり、工事費ではない。里山工房にも尋ねたが伝統工芸に限定されていた。結局、山間地に点在する民家の保存再生のための補助制度はないに等しいことがわかった。資金計画を立て、三月中旬、雪解けを待って工事に着手した。

工事の基本は構造補強と断熱である。朽ちた材料を取り換え、床面と壁面の耐力を増し、床、壁、天井の断熱性能を上げる工夫が必要である。それらは一律ではなく、それぞれの状態に合わせた施工方法を考えなければならない。大工さんには苦労をかけてしまったが、納得するまで話し合っておけば後悔することはない。

また工事のすべてを工務店に頼るのではなく、素人でも可能な内部の解体と内外壁、床の塗装仕上げは学生と友人の助けを借りて行った。住まいは商品のように買うものではなく創(つく)るものでありたいと思う。自ら解体作業に加わり思いもかけずに見つけた﨔(けやき)、地松、クリ、杉などの材料。それらをいろいろな用途に再利用した。

土台になっていた大きな﨔(けやき)を置き床として、床板の地松の板にカンナをかけてキッチンテーブルの天板に利用し、煤(すす)で黒ずんだ木材で吹き抜けの天井を組み、余ったものはテーブルの脚として加工した。そこにあった材料を使いきるように心掛け、最後にはストーブの薪(まき)となった。

またプリント合板と化粧ボードを取り除いていくと天井裏にはダイナミックな空間と材料が現れてきた。隠されていた丸太の棟木と登梁の小屋組、高い天井を持つ広々とした空間。この民家本来の姿を取り戻しつつ、採光と通風を確保するための格子で囲われた吹き抜け空間を新たに加えることで、新旧が対比されながらも互いに尊重し合う空間、新築では得られない空間を見つけ出せたように思う。

経済的理由から始まった民家の改修ではあるが、経済的には測れない良さと楽しさがある。基本的な構造、断熱、雨漏り、通風、すきま風の問題を解決すれば、現在では手に入れ難い材料、空間の質、生活スタイルを得ることができる。

一月半の工事を終え、引っ越しをしてからも週末には洗面台やげた箱、カーテン、薪置き場の制作を続けている。一時期にすべてが完成するのではなく、住みながら、民家と環境に沿いながら創る楽しさ。それは家族の生活そのものであると思う。そんなことも許容してくれる大きな幅を古い民家は備えているようである。

(建築家・谷重義行)

写真:丹念に手をかけられ、生き返った家の内部。快活に呼吸しているような明るさがある=北袋町で

自然の営みの中で

~ 花も虫も季節ごとに ~

北袋の民家に移り住んで半年。春夏を経て秋を迎えている。季節の移り変わりは早く、身の回りの草木や果物など、いろいろなことでその変化を感じることができる。お隣から頂く花は、水仙から蛍袋、ヒメヒマワリ、秋桜(コスモス)、紫苑(しおん)へと色とりどりに変わり、こんなにも間断なく咲き続けるのかと驚かされる。

昆虫についても同様である。チョウチョ、ホタル、セミ、カブトムシ、コオロギが現れ、家の周りでの虫捕りは子供たちの楽しみである。窓を開ければチョウチョが家の中を通り過ぎ、夜にはセミの羽化を観察できるほどだ。

しかし、トトロの森の住人(虫)はわれわれが好むのもばかりではない。季節に合わせて春先のカメムシ、ムカデ、ブヨ、オロロ(アブのような虫)、再び秋のカメムシと続き、小さな隙間(すきま)を見付けては家の中に侵入してくる。その隙間を見つけだして木やゴムパッキン、コーキングで埋めてゆく。手間のかかる作業ではあるが確実に冬に向けての対策になっていて苦にはならない。

不思議なことに虫は少しずつ現れ、少しずつ居なくなるのではない。現れるときは一度に数千、数百と集まり、いなくなる時は一夜で姿を消してしまう感じで、ひとつひとつの区切りが明確である。われわれはまだほとんど識別できないが、自然にも言葉と同様に多くの単語と文法があって、季節という文脈の中でいろいろな景色が現れるのだと思える。民家での生活もその一部でありたい。

この家には洗面、浴室、便所以外は壁で仕切られた部屋はなく、一、二階、ロフト共に障子や布で柔らかく領域を分けただけの大きなワンルームとなっている。使い方の固定した個室はない。窓を開ければ周囲の庭や小川にその領域が広がり、内にいても自然の気配を、外にいても家族の気配を感じる。一人ひとりの持ち物が家族の領域を示し、遊びたいと思えばオモチャを、仕事となれば仕事道具を持ち出せば、内外どこでも遊び場や書斎に変わり得る。

また、単なる高気密、高断熱はここでは意味をなさない。暑ければ簾(すだれ)や葦箕(よしず)で遮光し、日陰に合わせて人が移動する。周囲から隔てられた内部に快適スペースを用意するのではなく、それぞれの季節に合った快適な場所を探しながら緩やかに暮らす。自然に寄り添った生活の景色を創(つく)り得る方法のひとつだと思う。

今まで経験し工夫したことはほんのわずかのことである。この民家を「わが家」として住こなせるのは試行錯誤を数年繰り返してからのことだろう。民家にとっても、家族にとっても忍耐のいる付き合いが始まったばかりである。冬の経験はこれからだ。今までとは様子が異なるのは想像に難しくない。冬の厳しさを自然の一部として受け入れ、しなやかに楽しめるかがこれから試される。子供たちがよい手本になってくれると期待している。(建築家・谷重義行)

写真:まきストーブが入り、冬支度も整った室内。子どもたちは、この家で迎える初めての冬をどう過ごすのだろうか

ナイロビ滞在記

平成三年八月に日本を離れ一年間、私はアフリカのケニアに滞在する機会を得ました。JICA(JAPAN INTERNATIONAL COOPORATION AGENCY)からの依頼により、ケニアのJKUCAT(ジョモケニヤッタ農工大学)で建築学の技術指導を行うためです。

主な業務内容は、講義、共同研究、学科内の機材整備でした。大学は首都ナイロビから四〇km離れたティカの街にあり、車で四〇分程度かかります。私の授業担当は、演習の建築デザインと講義の建築設計理論でした。学内の建築に関する雑誌や資料が不足しているため、講義から何かを得ようとする学生の真面目な態度が伝わってきます。また、一学年二〇人の学生は、全ての講義を製図室で受講し、設計図面の貼られた製図板で数学等の講義もうけます。教室が不足していて不便の様ですが、常に図面や模型が身の周りにあり、休憩時間にも建築に頭を使っている感じで、活気があります。また、ケニアの建築学科は、欧米型の徹底したアーキテクト教育を志向し、学士を修了するには六年間必要です。

私は大学の講義以外にも、伝統的住居の調査で多くの地方を見て回りましたが、ケニアの風景は、時速一〇〇kmでドライブしていても、アカシアの木が点在し、小高い丘を持った瓦礫の平原が二時間、三時間と続きます。一般道でキリンやゼブラに出くわし、さすがは動物の王国アフリカだと再認識することもしばしばです。車を止めて五分間も休憩していると、紅色の一枚布をまとい、槍を片手の四・五人が、時には素足で、時にはタイヤの草履で集まって来ます。農村の部族固有の住居で、その氏族の長老とウジ(ミレットのかゆ状の飲物)やギゼリ(数種類の豆とメイズを一緒に煮込んだ食物)を御馳走になりながら、住宅の建て方や仕来たりに耳を傾けるのも楽しい事でした。

ここで、JICAのスタッフについて少し触れておきます。ケニアには約八〇〇人の日本人が在住していて、その内JICAからの派遣員及びその家族は二〇〇人前後です。技術協力の内容は多岐にわたり、工学、農業、医療以外にも、国土測量、水資源、動物保護、人口抑制、人類学、栄養士、小学校教育、洋裁、編物、柔道、空手等々、幅の広いものです。そういう日本人との出会いは、現地の人々との出会いと同じくらい興味深いもので、地位や年齢を超えて親しくなり、違った分野の多くの友を得ました。時々集まってはビールを片手に、「黒サイと白サイの違いは?」「ケニア人の仕事観は?」等々、終わりのない話しが続きます。

日本政府による開発途上国の経済社会開発を目的とするODA(OFFCIAL DEVELOPMENT ASSISTANSE:政府開発援助)予算は、年間約一兆五、〇〇〇億円(一九八九年度予算)で、その内の技術協力二、二〇〇億と無償資産協力二、〇〇〇億の七〇%がJICAを通して実施されています。援助国は一〇〇ヶ国以上にのぼり、国や分野を越えた出会いが日々生まれていると言えます。平成四年十月、JICA北陸支部が金沢駅西の金沢パークビルで活動を始めました。
こうしった国際協力の活動を、皆さんの将来の人生計画に加えてみるのも楽しい事かもしれません。

短い一年間でしたが、貴重な体験ができ、機会があればぜきまた訪れたいものです。ケニアの素晴らしさについて伝えたいことはまだまだありますが、今回は、ほんの一部を紹介して終わります。

ケニア事情

講演会ではケニアの首都ナイロビの中心街や住宅地、地方農村カンダラの住宅とその家族、そして人類発祥の地であるテゥルカナ湖周辺の風景について、スライドを見ながらお話しました。今回は話題を変えてお話します。

皆さんは何故学校に通っているのか、何故通うことが出来るのかを考えた事があるでしょうか。人によって様々でしょうが、ケニアの状況は今の我々とかなり異なっている様です。

ケニアには、日本における小学校と中学校を合わせた九年間に当たるプライマリースクールと、高校三年間に当たるセカンダリースクール、そして各種の専門学校・大学があります。国内の大学が七校であることから、大学進学者が日本と比較にならない程僅かであることは想像に難くありません。しかし、大多数の国民の教育上の関心はプライマリーやセカンダリースクールへの入学・卒業です。ケニアでは一組の両親が育てる子供数の平均は五~六人で、ナイロビでは三~四人と少なく、地方では七~八人と多くなる傾向にあります。例えば、五人の子供の全員にセカンダリー卒業の資格を与える事は、ほとんどの両親にとって不可能です。授業料はセカンダリーで一学期四〇〇〇シリング、一年間では一二〇〇シリングです。加えて本代や文具、制服代、食費の実費が必要となります。私が赴任した一九九一年の夏には、一シリングは五円でした。(現在一シリングは一円五〇銭です。)当時、事務職公務員の平均月給が二〇〇〇シリングと言われていましたから、半年分の給料を注ぎ込んで子供一人を一年間通わせる事ができるのです。

プライマリーでは授業料は無料ですが、本代等の実費は親の負担です。地方ではこの実費を支払う事ができない場合が多いのです。子供たちをプライマリーに通わせることが普通になりつつあるのはナイロビだけで、地方では全員を通わせる事は難しく、生徒としてよりも労働力としての役割が子供に課せられます。ですから入学したとしても、働き手となる五・六年生で中退したり、耕作や収穫期以外のみ出席したりします。政府は何をしているのかと疑問に思われるでしょうが、国家予算の三〇%を教育費に割り当てての事なのです。

このような状況の中でも自分の職業に希望を持ち、進学したいと願う子供がいても不思議ではありません。調査で訪れたカンダラの町では「ハランベー」と呼ばれる助け合いの制度によって、進学の機会を与えていました。困った人が町にいれば、皆で話し合って助けようという精神です。私も五〇〇シリングの寄付を頼まれました。プライマリーを優秀に卒業して、次への進学を希望する女子生徒がいて、皆で授業料を集めているとの事でした。この地域での現金収入の多くはコーヒー豆の生産に頼っています。不作時の食糧不足を覚悟の上で、トウモロコシの植付け面積を減らしてコーヒー豆を増やします。多くの親が子供に教育の機会を与えたいと願って現金収入を得ようとします。町中の人々が多少に関わらず、一人の生徒のためにお金を出し合います。

寄付をしてから二ヶ月程後、その生徒が進学出来るだけのお金が集まったと、町長さんから感謝をされました。ただし、この生徒の弟や妹には「ハランベー」によって進学できる順番は回って来ないとのことでした。家族の生活を切り詰めてでも、自分たちの町から一人でも多くの子供を進学させたいというのが、親心であり町の人々の願いなのです。その願いは日本でも同じでしょう。しかし、事態は異なります。意思も異なります。日本から見れば貧困に映る事態でも、カンダラの女子生徒は大きな責任と共に、自身の強い意志を持って学校にかよいはじめたのではないでしょうか。

取り留めのない話になりましたが、皆さんにとっての「何故」を問いかける機械にして頂ければ幸いです。

ケニアの伝統的住居形態について

私の研究は、以前にケニア共和国で実施したフィールド調査に基づいて、いくつかの部族の伝統的住居形態に関する考察を行うことです。ケニアは独立後、近代化・工業化を進めていて、社会制度や生活様式の変化に伴い、建築の材料・工法・形態も変化し、今日では「伝統的」と呼べる建物は大変少なくなってしまいました。現地調査では現存する住居の実測と共に、長老へのヒアリングにより、伝統的住居についての多くの事柄を採取しました。現在この資料を空間把握の視点から住居を記述するために分類・分析しています。ケニアの伝統的住居と聞くと、木、草、泥で造られた小さな建物を想像されるでしょう。このような建物を研究してどうなるのかという疑問に少し触れて起きます。

私達が日常生活を不安なく過ごせるのは、自分が何処にいて、または何処に向かおうとしているのかを了解しているからです。また、人に会えば互いの関わりによって言葉や態度を変えています。それらは意識しなくても、ある空間的な意味や秩序によって、人々が環境の内に結びつけられているからです。これを「定位」と呼びます。定位は人間と環境との間の相互作用を通してバランスの取れた状態をつくろうとします。道上生活は異なる場面の連続ですが、常に構造化された場所体系の中で営まれています。現代はこのバランスが曖昧になりつつあります。機能の複合化、環境の強いコントロール、経済的基準への偏り、時代的なノマド感覚などの理由により、定位の様相が変形され見え難くなっているからです。古くから人は地上に立って「住む」ことを続けてきました。それは一定の普遍性を持つ要素からなる定位の様態によるものと考えられます。現代の環境や住まいがバランスを失わないためには、具体的な場所に即した、安定した定位の様態を中心に備えなくてはなりません。高度に情報化された社会においても、その意義は失われることはないでしょう。

ケニアの伝統的住居は原初的で長く伝承されたもので、安定した定位の様態を建築的に表現していると考えられます。そこに、ある種の「住まいの祖型」を見つけようとするのが私の研究の目的です。